詳細|お知らせ
News

彩の国さいたま芸術劇場 |

ダンス

【コラム】クリスチャン・リゾー 『D’après une histoire vraie ―本当にあった話から』(2013年初演)

2024年10月01日

束の間の共有地で踊られるフォークダンス

呉宮百合香

 

 パーソナルチェアとその背にかけられたコート、観葉植物、床に転がる本や球体——リビングの一角を切り取ってきたかのようなオブジェが、薄暗く無機質な空間の中で奇妙な存在感を放っている。そして現れたひとりの男が、脱いだスニーカーを丁寧に揃えてから、そこに足を踏み入れる。いかにも物語の始まりを思わせる冒頭だが、その予感に反して次に起こるのは抽象的なダンスである。無音の緊張が満ちるなか、ひとり、またひとりと8人の男たちが集い、ユニゾンに加わっていく。揃って宙に伸ばされる腕と脚の造形が、目に焼き付く。
 やがてふたりのドラマーが合流し、リズムを刻み始めると、舞台上の空気はゆるやかに転調する。上体を波打たせ、頭を上下に振り、左右にステップを踏み、時折垂直に跳び上がる。外形をきっちり揃えることから、内なるリズムとモチーフを共有することへと移行し、ふつふつと共振のエネルギーが溢れ出す。
 フランスの振付家クリスチャン・リゾーによるダンス作品『D’après une histoire vraie—本当にあった話から』は、学校や祭り、イベントなどの場で誰もが一度は目にしたことがあるようなシンプルな身振りの数々を参照している。イスタンブールで偶然に目撃した民族舞踊に触発されたリゾーは、そんな広く共有された身振りを緻密な構成の中に巧みに配置することによって、驚くべきダイナミズムを引き出した。

 ダンサーたちは、しばし組みになってはまた離れ、ソロ、デュオ、トリオと絶えず軽やかに関係性を変化させていく。なかでも特に際立つのが、腕と脚の対照的な使い方だ。脚は各々自律的にステップを踏み続ける一方、腕はもっぱら人と繋がる接点になる。ひとりで踊る時は後ろに組んでいる手を、出会った相手に向けて伸ばす。手を繋ぎ、肩を組み、受け止める。この象徴的なコントラストが、個を保ったまま他者との関係を築き、流動的に集団を作っていく様を浮き上がらせる。
 個と集団、具体と抽象、伝統的なものと現代的なもの——この作品には、ほかにも様々な対比が仕掛けられている。空間構成には、古くからの祭事を思わせる儀式性と、モダンな幾何学的洗練の両方が備わっているし、ディディエ・アンバクト&キングQ4が奏でる音楽にも、民俗的な響きとサイケデリック・ロックの響きが同居している。抽象性と具体性が不思議に入り混じる舞台美術も、また同様であろう。いずれの要素も、ひとつのカテゴリーに固定されることなく、複数の可能性の間を常に移ろい続けている。そして、リゾー作品には欠かせないキャティ・オリーブが手掛ける照明が、生き物のごとく舞台上を蠢き、美術から衣装に至るまで階調の異なるグレーで統一された世界の濃淡を一刻ごとに変化させてゆく。まるで、白黒つけないあわいの豊かさを強調するかのように。

 「どうしたら共にいられるか?」——2013年にアヴィニヨン演劇祭で初演された本作のテーマは、ますます世界の分断が進む今日、より重く響く。そのひとつの回答として、クリスチャン・リゾーは“架空のフォークダンス”を創り出した。土地柄や民族性を反映する衣装や、それぞれの文化に固有の身振り、上演されるシチュエーションといった背景を抜き取り、いわば類型だけを抽出したダンスの核には、リズムを分かち合うという原初的な衝動がある。それは言うなれば、共振のためのダンスである。誰かを排除するためでも、画一的に染め上げて同化するためでもない、偶然に集った者同士が束の間共に在るための手段なのだ。
 とはいえ、そのような集団性を成立させることは容易ではない。音も光もオブジェも身体も、全ての要素は不断の緊張感をもって拮抗し、ぎりぎりのバランスを保っている。予定調和や安定、ユートピアンな甘さとは対極の、ちょっとしたことで全てが瓦解しうる脆さと、それでも互いに関わり続けようとする強い意志が、その光景には内包されている。(ちなみに、リゾーが1996年に作ったプラットフォームの名は、壊れやすい連合体を意味する「アソシアシオン・フラジル L’association fragile」である。)

 舞台という場にのみ現れるフィクショナルな、しかし今この瞬間においては目の前で実際に形成されている儚い集団性は、私たちをfolkの語源——「人々」——に立ち返らせる。誰もが持つ身体を拠り所に共に生きる方法を模索するなんてことは、やや理想主義的に響くかもしれない。しかし、終盤になるにつれてダンサーとドラマーたちの顔に愉しげな笑みが浮かび、客席までその熱気が伝播する様子を見ていると、様々なカテゴリーを一時的に宙吊りにしうるダンスの身体の可能性を、そして舞台という束の間の共有地の可能性を、いま一度信じてみたくなるのである。

 

 

 

呉宮百合香 Yurika KUREMIYA

パリ第8大学(芸術学)と早稲田大学(文学)で修士号を取得後、早稲田大学文学研究科博士後期課程単位取得満期退学。ダンスを中心に国内外の媒体に公演評や論考を執筆するほか、コーディネーター/ドラマトゥルクとして多数の公演や展示、フェスティバルに携わる。

https://yurikakuremiya.mystrikingly.com/

 


クリスチャン・リゾー『D’après une histoire vraie-本当にあった話から』

2024年10月19日(土)19:00開演

    10月20日(日)15:00開演

会場:彩の国さいたま芸術劇場 大ホール

公演特設ページ:https://www.saf.or.jp/arthall/information/detail/101696/