埼玉会館の歴史は大きく二つに分かれます。一つは、大正15年(1926年)に「御成婚記念埼玉會館」として誕生した旧館時代。そして、昭和41年(1966年)に建て替えられ現在に至る「埼玉会館」としての時代です。
旧館時代から数えると約90年。「大正、昭和、平成」3つの時代を通し、常に文化の中核を担う拠点会館として皆様とともに歴史を刻んできました。
「御成婚記念」というのは、摂政裕仁親王(昭和天皇)の御成婚を記念して、県を挙げて祝賀の意を表し、会館を建設した経緯が示されたものです。
会館建設は大正12年(1923年)に計画されますが、同年に関東大震災が起こり、建設は延期を余儀なくされました。
しかし、1年後に建設計画が再び動き出します。それを支えたのは、渋沢栄一翁が中心となった会館建設への寄付でした。市井の人々も含め多くの寄付が寄せられ、大正14年(1925年)に着工にこぎつけます。そして、約1年の工期を経て大正15年(1926年)11月6日に会館が竣工します。
当時、このような公共集会施設は全国でも珍しく、東日本では日本青年館(1925年)に次ぎ、日比谷公会堂(1929年)よりも早い開館でした。設計者は大阪市中央公会堂(重要文化財)や歌舞伎座、鳩山一郎邸(現鳩山会館)などを手がけた岡田信一郎氏でした。
県民の力が結集して誕生した会館の竣工にあたっては、花自動車や山車がでるなど街中が祝賀ムードに沸き返りました。その模様は当時の新聞や報道映像に残されています。当初の埼玉会館はいわゆる貸し館が中心で、今日のような主催事業は実施されていませんでしたが、文化・憩いの場として多様な事業が開催されていました。
旧館の写真
当時の新聞記事
大きな時代の変化を写しながら様々な集会や催し物に利用されてきた旧館でしたが老朽化が進み、昭和30年頃から、建て替えを望む声があがってきました。
そうした声を受け埼玉会館の歴史を継ぐにふさわしい建物を目指し、著名な設計事務所による設計との方針が打ち出されます。その方針を受け、モダニズム建築の旗手として日本の建築界をリードする前川國男氏に設計が委託されます。
昭和38年(1963年)に工事を開始。そして、昭和41年(1966年)4月18日に竣工し、5月27日、新埼玉会館が開館します。新設された会館では、これまでの貸し館業務だけでなく新たに自主事業を展開していきます。
音響の良さで定評のある大ホールは、改築当初からオーケストラ公演も頻繁に行われていました。開設当初の様子などは、埼玉会館でコンサートシーンが撮られた映画「砂の器」(原作:松本清張 監督:野村芳太郎 昭和49年 1974年)で垣間見ることができます。
人の流れをゆったりと包み込むように造られた新埼玉会館。その設計コンセプトに応えるように、憩いの場として、また、散策の場として多くの人が集う空間となっています。
平成6年度から、財団法人埼玉県芸術文化振興財団(現在は公益財団法人)へ運営が委託され、大ホールの響きの良さを活かした音楽公演が自主事業の主流となります。平成18年度からは指定管理制度に移行しましたが、引き続き埼玉県芸術文化振興財団が管理・運営を行っています。
新館建設当初写真
大ホールの写真
埼玉会館は新・旧ともに興味深い建築様式を取り入れています。その特徴の一部をご紹介します。
旧館の建物は本館(平屋一部2階)と別館(地下1階、地上3階)の2棟からなり、現在からみるとクラシカルな趣をもっていました。一方、関東大震災と同程度の地震にも耐えうるよう耐震・耐火にも万全が期されていました。
本館は屋上に女神の像を配した高棟があり、周囲の標識ともなったと言われています。女神像は紆余曲折を経て、現在は県立歴史と民俗の博物館の中庭に置かれています。入口には、会館建設に力を尽くした渋沢栄一翁の手による館名が書かれた青銅の銘板が掲げられました。
本館大集会室は当時の日本では非常に斬新な様式でした。客席は後方に至るほど広がり、立体的なひな壇式で傾斜を設けるなど、どのような席からでも等しく視聴ができるよう工夫がこらされていました。
別館には集会室や事務室、和室などが配置され、和室の前面には屋上庭園が造られていました。地下には食堂や売店、娯楽室なども設置されました。食堂では当時まだ珍しかった西洋料理が出され、「浦和に出ると会館で洋食を食べるのが楽しみだった」という談話も伝わっています。
現在、皆様にご利用いただいているのが、昭和41年(1966年)に改築した埼玉会館です。中・低層住宅が連なる50年近く前の街中に、抜きんでるように建てられた高層の建物は今と少し違う印象であったかもしれません。
日本のモダン建築の巨匠といわれる前川國男氏が設計した会館は、東側に大ホール、西側に小ホールと会議棟を配し、その間に色彩感のあるタイルを独特の工法で敷き詰めたエスプラナードを巡らせています。
高低差のある土地の形状に併せて造られた二段のエスプラナードは、建物の60%を地下に潜らせることによって生み出されました。既存の図書館とも呼応して造られたこのエスプラナードは憩いの場として、また、散策の場として人の流れをゆったりと受入れ、市街地における公共文化施設の新しい在り方を提示した設計となっています。
また、その上を歩いていると気づきにくいエスプラナード床タイルの模様の美しさも特筆すべきかもしれません。手書きにより緻密かつ繊細な設計書から生み出されたエスプラナードのタイル模様は、建物の上から見ると美しく花が咲いたような様相を見せてくれます。
建物の外壁には、前川建築の特徴である打ち込みタイル工法により、黄褐色のタイルで覆われています。自然の焼きムラがあるタイルと一部に垣間見られる打ちっ放しコンクリートとが絶妙な対比をなしています。
建物の内部にも特徴があります。音質の良さで定評のある大ホールは、内装仕上げの全てに難燃合板材を用いています。そうした形で内装仕上げした壁は天井面と一体となっており、現在では非常に珍しい構造だといえます。
小ホールの客席は、舞台を中心に扇状に置かれ、舞台との親近感、一体感が強調されています。この他にも、天井の高さと面積の異なる3つの展示室や和室を含めた会議室などが配置されています。
改築から50年近くが経ちますが、前川建築の特徴を色濃く残す埼玉会館は、夜に照明が入ると、また違った佇まいを見せてくれます。