芸術監督ごあいさつ|財団について
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蜷川幸雄芸術監督は2016年5月12日逝去いたしました。
当財団は、その功績を「蜷川レガシー」として継承発展させてまいります。
このページは、皆様へのメッセージとして掲載を継続いたします。

彩の国さいたま芸術劇場芸術監督蜷川幸雄

地域に愛され、多層化された楽しみ方ができる劇場へ

彩の国さいたま芸術劇場芸術監督蜷川幸雄

2006年に彩の国さいたま芸術劇場の芸術監督に就任した時、何よりも地域の方々に愛される、開かれた劇場にしたいと思いました。当時、この劇場は世界の前衛的な素晴らしい舞台をたくさん上演していましたが、観客は多くありませんでしたし、地域の方々にもあまり知られていませんでした。そこで、稽古場見学会や無料の公開対談シリーズを開催し、地域の支援があって成り立つ公共劇場として、まずは地域の方々に来てもらって、ここで何が行われているのかを見てもらうようにしたのです。また、多層的な楽しみ方ができる劇場にしようと思いました。つまり、魅力的なスター俳優を見たい人もいれば、作品のテーマや、有名な作品がどう演出されるのかに興味を持つ人もいて、こういう多様な価値観に応える劇場にしようと考えたのです。


公共劇場の責任ということでいえば、民間の劇場や興行会社の劇場ではできないもの、優れているけれど採算の取りにくいものを取り上げることも必要です。シェイクスピア全作品を上演する彩の国シェイクスピア・シリーズを1998年から続けていますが、シェイクスピアといえども上演頻度の少ない作品もあります。それらも含めて全作品を上演するということは、公共劇場だからこそできる大事な役割です。


また、公共劇場でしかできないレパートリーを考えた時に、教養の産物ではなく、何か喚起するものも必要だと考え、芸術監督になってすぐ、55歳以上の高齢者のみの劇団「さいたまゴールド・シアター」を作りました。生活者として経験を積んだ人たちの力を借りて、これまでの演劇の概念を広げる実験的な作品を創ろうと考えたのです。身体の老いや精神の在り方も含め、高齢化社会の持つ問題全てを内包している集団で、これがとても大変です。しかし、職業的俳優とは違う、想像を超える演技をすることがあり、心を打つ瞬間が確実にあります。また、テレビなどの大きなメディアが既に知名度のある役者ばかりを取り上げることに対して、公共劇場は無名で形を成していない若者たちにチャンスを与えるべきだと思い、次代の日本の演劇界を担う若手俳優の育成を目的に「さいたまネクスト・シアター」を作りました。


ここでは、演劇のほかにダンスや音楽もやっていますが、大衆性と前衛性を組み合わせたプログラムにしています。特にダンスは世界最先端の前衛的な作品を招聘しており、開館当時からユニークなラインナップを展開しています。


この劇場に来ていただいた観客の皆さまに、来てよかったと思っていただけるだけの満足感、目の喜び、耳の喜びを感じていただけるよう、ラインナップや作品の内容に相当工夫を凝らしています。そして、文化として、人間の営みとして、身体を中心とした芸術の存在する場所を、この劇場を中心に確保していくのが自分の使命です。

[プロフィール](にながわ・ゆきお)

1935年、埼玉県生まれ。55年に劇団青俳に俳優として入団、69年『真情あふるる軽薄さ』(作・清水邦夫)で演出家デビューし、現代人劇場、櫻社を創設。74年に日生劇場『ロミオとジュリエット』で大劇場の演出を手がけ、以後日本を代表する演出家として日本の現代劇から近松門左衛門、谷崎潤一郎、シェイクスピア、ギリシャ悲劇と幅広い作品を手がける。83年『王女メディア』のヨーロッパ公演を皮切りに海外進出。以後、毎年欠かさず海外公演を行う。ロンドン・グローブ座のアーティスティックディレクターのひとりでもあり、2002年には英国の名誉大英勲章第三位を授与された。朝日賞、朝日舞台芸術賞グランプリ、読売演劇大賞、紀伊國屋演劇賞個人賞など受賞歴多数。06年から彩の国さいたま芸術劇場芸術監督に就任し、55歳以上を対象とした「さいたまゴールド・シアター」、若手俳優育成プロジェクト「さいたまネクスト・シアター」を創設。2010年、米国の「ケネディ・センター」国際委員会芸術部門のゴールド・メダル受章。同年、文化勲章受章。2016年5月12日逝去。

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